東京地方裁判所 昭和57年(ワ)12373号 判決 1988年2月22日
原告 甲野一郎
<ほか二名>
右三名訴訟代理人弁護士 金住典子
同 小山久子
同 佐川京子
同 吉岡睦子
被告 東京都
右代表者知事 鈴木俊一
右指定代理人 半田良樹
<ほか二名>
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告甲野一郎(以下「一郎」という。)に対し金五〇〇万円、原告甲野太郎(以下「太郎」という。)及び同甲野花子(以下「花子」という。)に対し各金二五〇万円並びにこれらに対する昭和五四年四月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文同旨
2 担保を条件とする仮執行免脱の宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 (原告らの地位)
原告一郎は、同太郎、同花子の長男であり、昭和五四年四月一〇日、東京都立甲田高等学校(以下「高校」という。)に入学した。
2 (本件授業前の体育の授業)
(一) 昭和五四年四月一四日、原告一郎が高校に入学後はじめての体育の授業が行われ、教科担任である秋山良治郎教諭(以下「秋山」という。)は、原告一郎を含む一年生A・B両クラスの男子生徒に対し、集合整列につき各クラス二列横隊身長順によること、体育委員の仕事、体育の服装、リズム運動、整理体操などについて説明をしたが、実技は行わなかった。
(二) 秋山は、同月一七日の第二回目の体育授業の実施に先立ち、当日の授業の予定を以下のとおり説明した。
(1) まず準備運動と補強運動(倒立、肩車、馬跳び)を行う。
(2) 次いで、走運動を行う。その具体的内容として、ジョギング、股上げ走、ストライド走をそれぞれ行う。
(3) 最後に整理運動を行う。
そして、秋山は、肩車のやり方について、下になる者は、両足を二五センチメートルから三五センチメートルくらい左右に開き、上体を起こし首を固定した状態でしゃがむこと、相手がまたがりセットが終わったら静かに立ち上がること、バランスを崩さないで気持ちを集中させてやることなどを説明した。原告一郎は、右説明の後、秋山の指示により身長順で二列に並ばせられ、訴外乙山春夫(以下「乙山」という。)と組み合って肩車をすることになった。このとき、乙山の体格は、身長約一七五・五センチメートル、体重約七八・三キログラムであり、原告一郎の体格は、身長約一七〇・五センチメートル、体重約五五・五キログラムであった。このため原告一郎は、乙山を肩車で三回持ち上げようと試みたが、一回目は重すぎて持ち上げることができず、二回目はようやく持ち上げることができた。しかし、三回目はまた持ち上げることができなかった。その際、秋山は、原告一郎が、乙山を三回のうち一回しか肩車で持ち上げることができなかったことにつき、何ら注意を向けなかった。
3 (本件事故の発生)
(一) 原告一郎は、同月二一日の第四校時(午前一一時四〇分から午後零時三〇分まで)、秋山の指導の下に三回目の体育の授業を受けた(以下「本件授業」という。)。
(二) 原告一郎は、秋山の指示を受け、ラジオ体操、腕と肩の柔軟体操、倒立二セットを行った後、午前一一時五〇分ころからスタートダッシュの補強運動として乙山を相手に肩車を行ったが、乙山を持ち上げる途中、その体重を支え切れず、乙山を肩に乗せたまま腰が砕け、二つ折りになるようにして尻餅をついてしまった。原告一郎は、その際、第四腰権圧迫骨折の傷害を負った(以下「本件事故」という。)
4 (本件事故後の経過)
(一) 秋山は、他の生徒から本件事故の発生の報告を受け、はじめて本件事故の発生を知り、原告一郎が苦痛を訴えるのを聞いたが、事態を軽く考え、引き続き原告一郎を五〇メートル走のダッシュの練習に入らせた。しかし、原告一郎は、スタートダッシュの練習を行ったものの、激痛のため三〇メートル程しか走ることができなかった。そこで、秋山は、はじめて原告一郎に対し、保健室へ行くように指示した。
(二) 原告一郎は、午後零時二〇分ころ、乙山に付き添われて保健室に行き、田中シズ子養護教諭(以下「田中」という。)の手当を受けた。田中は、原告一郎に対し、「どうしたの。」と声をかけたが、原告一郎は何も答えなかった。これに対し、乙山は、田中に対し、本件事故の状況について、本件授業で肩車をやっていたこと、原告一郎が下になっていて腰が砕け、身体が二つ折りになったこと等を説明した。田中は、原告一郎の怪我の状況を軽微な筋違いと判断し、原告一郎の腰に湿布をしただけで教室へ帰らせ、原告一郎の担任である和田吉廣教諭(以下「和田」という。)や原告一郎の両親である原告太郎、同花子に何の連絡もしなかった。
5 (高校としての過失)
被告に所属する高校は、原告らに対し、体育授業において危険性を伴う運動が多いことから、安全面を配慮した年間計画を立て、運動の種類、実施の時期等につき生徒の発達状態に応じた運動が実施されるよう十分検討を加える義務を負っていたにもかかわらず、これを怠り、一応のスケジュール程度の年間計画しか立てなかった。また、高校は体育教科の実施にあたっては、生徒の体力、健康状態等の調書を行い、生徒の発達状態の的確な把握をする義務を負っていたのにこれを怠り、原告一郎ら生徒の健康状態、体力の具体的把握をしなかった。
6 (秋山の過失)
秋山には、体育教諭として、体育授業に際し、生徒の生命身体の安全について万全を尽くし、生徒に事故が発生することを防止すべき義務があるというべきである。しかるところ、本件事故の発生を十分に予見することができたのに、以下のとおり右義務を怠った過失がある。
(一) (肩車の選択自体の過失)
(1) 肩車には、以下の危険がある。
ア 肩車は、上になる者の体重が何ら軽減されることなく完全に下の者にかかることになるため、上の者の体重が重くなるに従って負荷が強くなって行く。
イ 器具を使った運動では重さの調節が容易であるが、肩車の場合負荷が人間の体重そのものであるため、人為的に調節することが困難である。従って、高校生の場合、重い体重をいきなり持ち上げるので、徐々に負荷を増して行くという筋力トレーニングの漸進性の原則に則って運動することが不可能になる。
ウ 腰椎は、垂直方向の力には比較的強いとされているが、肩車の場合、下になる者がしゃがんで背骨を曲げた姿勢から上の者を持ち上げるため、背骨に斜め方向に負荷がかかることになる。
エ 肩車の場合、下になる者が重さを認識する時点では、既に運動が始まってしまっており、下の者の重さの確認が遅れる。
オ 下の者が立ち上がった時点では、肩に大人の身長に近い高校生が乗っていることになるため、重心が相当高くなり、バランスを崩しやすくなる。
カ 肩車の場合、上に乗る者が人間であるため、器具と違って途中で放り出すことができず、また、上に乗る者は本能的に後ろが危険であることを認識して前方へ重心を移すため、下の者の姿勢も自然と前かがみになり、腰椎への負荷が増大し易い。
(2) 秋山が、スプリントの補強運動として肩車を選択したとすれば、瞬発力を養成するためという趣旨と解せられるが、瞬発力養成のためには、軽い負荷でできるだけ速い動作を繰り返して行うことが要請される。ところが、肩車は、重い負荷で三回程度しか繰り返せない運動であって、スプリントの補強運動としては不適切であり、他にもより適切な方法が数多くあった。
(3) 秋山が筋力トレーニングの方法として肩車を選択したとすれば、以下のとおり、極めて不適切である。すなわち、砂袋、チューブ、棒、壁、机、階段などの器具、施設を利用すれば、個人の力に応じた重さを選択することができ、無理な場合には運動の途中で道具を放り出すこともできるので安全性も確認できる。また、器具、施設を使用しなくても、二人組で、腕立て伏臥姿勢での腕の曲げ伸ばし、おんぶの姿勢での膝の曲げ伸ばし、伏臥姿勢からの上体そらし、仰臥姿勢からの上体起こしなど相手の全体重がかからないよう配慮されているトレーニング方法がある。
(4) 高校生の筋力には個人差があるが、筋力増強の効果の期待できる負荷とは、その人の全力の約三分の二の力であるとされ、それ以上であると事故の起こる危険性が高いとされている。そして、「約一〇回繰り返しできる負荷」が最大筋力(全力の力)の約三分の二とされ、従って、筋力トレーニングの負荷については、約一〇回繰り返しできる重さで行うという基本原則が設定されている。しかし、本件における肩車の負荷は、高校生の体重であり、個人差があるとしても高校生の体重が約一〇回繰り返すことのできる負荷に該当する場合は殆どあり得ない。従って、秋山が肩車を高校の正規の体育授業で選択したことは、スプリントの補強運動として不適切な方法をあるいは筋力トレーニングの方法として安全及び効果の両面から余り有効といえない方法を選択したものであって、しかも、高校生に不可能を強いる方法を選択したものであって、安全配慮を欠いた過失がある。
(二) (肩車実施の際の過失)
(1) 前記(一)(1)のとおり肩車は危険性が大きく、また、(一)(4)のとおり筋力トレーニングの原則として約一〇回繰り返しできる負荷という基準が存在するのであるから、秋山は、肩車を実施するに際し、肩車の危険性を十分に認識したうえ、筋力トレーニングの原則に基づき事故防止のため運動する者の体重や過去の実績を考慮して組み合わせに万全の注意を払う義務があったにもかかわらず、右危険性又は筋力トレーニングの原則、原告一郎と乙山との体重差等を全く認識しないまま、漫然と肩車を実施し、事故発生の防止措置を怠った過失がある。
即ち、肩車については、相手の体重を負荷として利用するため、事故発生を防止するには、なるべく近い体重の者と組み合わせるようにするべきだった。本件事故当時の乙山の体重が約七八・三キログラムであり、原告一郎のような体重が約二二・八キログラムも軽い筋力トレーニングの初心者が肩車を行うには余りに過大な重量であり、原告一郎は前記2(二)のとおり、第二回目の授業で乙山をやっとの思いで一回持ち上げたに過ぎなかった。従って、組み合わせの不均衡から本件事故の発生が容易に予見できる状況にあった。それゆえに秋山は、原告一郎に肩車を実施させる場合、肩車の実施状況を綿密に観察し、事故防止のために、原告一郎が一回しか乙山を持ち上げられなかったことを考慮し、本件授業においては、原告一郎と乙山を組み合わせることを差し控えるべきであったにもかかわらず、これを怠り、漫然と右両名を組み合わせた過失がある。
(2) 仮に、秋山が肩車の実施以前に生徒に対して、無理をしないでできるところまで行うよう指示していたとしても、無理かどうかの判断は、筋力トレーニングの原則に照らしてはじめてできることなのである。従って、高校入学後間もなくで筋力トレーニングの経験もない原告一郎が無理かどうかの判断をすることができないことは明らかである。しかるに、秋山は、無理かどうかの判断を安易に原告一郎らに委ねてしまったのであるから、過失があるというべきである。
7 (田中の過失)
田中は、養護教諭として、以下の義務を負っているにもかかわらず、これを怠った過失がある。
(一) (負傷の状況、症状の把握及び対応措置を誤った過失)
田中は、原告一郎及び付き添ってきた乙山から本件事故の模様を詳細に聞き、原告一郎の負傷の経過及び状況を正確に把握して、傷病の重症度を的確に判断する義務があったにもかかわらず、これを怠り、原告一郎に対し稚拙な問診、簡単な触診をしたのみで、原告一郎の受傷の部位、程度を正しく把握せず、軽微な筋違いと判断した過失があり、その結果、要治療の緊急度の判断を誤り、原告一郎の受傷の状態に照らせば、直ちに校医らの専門医の診断を受けさせる義務があるのに、これを怠った過失がある。
(二) (連絡の懈怠)
田中は、原告の受傷部位が腰部であることを認識しており、身体の中でも重要なところなのであるから、大事をとって原告一郎に対するその後の措置について原告の担任である和田、校長等学校責任者、更に保護者である原告太郎、同花子に連絡をして協議すべきであったにもかかわらず、これを一切怠った過失がある。
8 (被告の責任)
(一) (国家賠償法一条一項の責任)
被告は、秋山及び田中が勤務する高校の所属する地方公共団体であるので、右高校、秋山及び田中が、公権力の行使として職務を執行中、前記5ないし7の過失により、原告らに後記9の損害(但し、田中の行為から生じた損害は9(一)(1)のみである。)につき損害賠償すべき責任がある。
(二) (債務不履行責任)
被告は、原告一郎との間で、在学契約を締結し、かつ原告太郎、同花子との間でも、原告一郎を高校に入学させ教育を受けさせることを主内容とする在学契約を締結していた。従って、被告は、原告らに対し、右在学契約に基づき、原告一郎の生命、身体に危害を及ぼさないよう事故の発生を未然に防止すべき安全配慮義務を負っていた。
被告が、原告らに対して負担する安全配慮義務の履行補助者である高校、秋山及び田中は、前記5ないし7の過失により、原告らに9の損害(但し、田中の行為から生じた損害は、9(一)(1)のみである。)を生じさせた。
9 (損害)
(一) 本件において原告一郎は、第四腰椎圧迫骨折の傷害を負い、それに伴って、以下の精神的肉体的苦痛を受けた。
(1) 原告一郎は、保健室から教室に戻った後、当日の授業終了時である午後零時五〇分まで授業を受けて一人で下校したが、その間受傷した腰に激しい痛みを覚え、カバンを持てないほどの激痛に襲われながら、普通徒歩二〇分で帰れる道のりを四〇分もかけ、同日午後一時三五分に自宅にたどり着いた。
(2) 帰宅した原告一郎の顔色から事態の重大性を感じた原告太郎は、直ちに医師の診療を受けさせたところ、第四腰椎圧迫骨折と診断されたので、同日中に原告一郎を東京慈恵医科大学付属病院第三分院(以下「医大病院」という。)に入院させた。原告一郎は、同年六月六日まで医大病院に入院し、更に退院後も翌年三月二五日まで通院治療を受けた。従って、原告一郎は、入院期間中通学することができず、また、二年生に進学するまで体育の授業を全く受けられなかった。
(3) 以上の事実及び前記6・7の秋山及び田中の教育者としてあり得べからざる不誠実な態度を総合すれば、原告一郎の慰謝料は、金五〇〇万円を下らない。
(二) また、原告太郎、同花子は、原告一郎の親権者として、原告一郎が学校で安全に教育を受けることを願い、そのために心を砕き授業料や養育費を支出したのである。しかるに、本件事故により原告一郎が重大かつ深刻な精神的肉体的苦痛を受け、安全に教育を受ける機会を失ったのであるから、原告太郎、同花子の受けた精神的苦痛もまた極めて大きいといわなければならない。この慰謝料は、原告太郎、同花子につきそれぞれ金二五〇万円を下らない。
よって、原告らは、被告に対し、不法行為または在学契約の内容である安全配慮義務の不履行による損害賠償請求権に基づき、原告一郎に金五〇〇万円、原告太郎、同花子に各二五〇万円及びこれらに対する本件事故発生日である昭和五四年四月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2(一) 同2(一)の事実は認める。但し、秋山は、年間の授業計画とその内容、体の具合が悪い場合の見学に関する申し出、次回の授業の内容についても説明をした。
(二) 同2(二)の事実のうち、原告一郎の体格及び原告一郎が乙山を肩車で持ち上げた状態は知らない。乙山の体格及び秋山は原告一郎が乙山を三回のうち一回しか肩車で持ち上げることができなかったことにつき何ら注意を向けなかったことは否認する。その余の事実はすべて認める。
秋山は、原告一郎らに対し、肩車のやり方、留意点につき、以下の説明も行い、生徒達にそれぞれ肩車を実施させたが、各組とも最低一回は相手を持ち上げた。
(1) 上になる者は、両脚を開き、相手の肩にまたがり、足裏を地面につけた状態で、両手で相手の頭部を押さえること。
(2) 上下二人の呼吸が大切であること。
(3) 相手を降ろす時は、特にゆっくりとバランスを取ること。
(4) 肩車は、忍耐心も含めてバランスを取りながら相手を押し上げる運動であるため、持ち上げる者も上に乗る者も慎重に呼吸を合わせたり、バランスを取ったりすること。
(5) 無理をしないでできるところまで行うこと。
(6) 下の者は、無理であれば背負う方法でもできること。
(7) 静かに押し上げて行くこと。
(8) 相手とうまく行かない時は、交替を申し出ること。
3 請求原因3(一)の事実は認め、同3(二)の事実のうち、秋山がスタートダッシュの補強運動として肩車を実施したことは否認し、その余の事実は認める。
4(一) 請求原因4(一)の事実のうち、秋山が本件事故発生の直後、スタートダッシュの練習を行ったこと、秋山が原告一郎に対し保健室へ行くよう指示したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(二) 請求原因4(二)の事実のうち、乙山が本件事故の状況について説明した内容、田中が原告一郎の怪我を軽微な筋違いと判断したことは否認し、その余の事実は認める。
田中は、原告一郎及び乙山に対し、本件事故の状況について発問したが、原告一郎及び乙山が「落ちたんです。」「腰を打った。」と答えたのみであったから、本件事故の状況を十分に把握することができなかった。田中は、原告一郎が腰の背中のあたりを痛みのある部分として指示したことから、背骨を中心に周囲の変化の有無を調べたが、発赤や腫れ、内出血等外見的な異常は全く見られなかった。また、原告一郎は、田中の指示で上半身を前後左右に動かしたところ、前方に身体を曲げた時痛くなると説明し、その結果、田中は、腰の部分の背骨の上付近に痛みがあることがわかった。そこで、田中は、原告一郎の症状について打ち身とか軽い捻挫であろうと判断し、同人に対し、「痛みが続くとか、今よりどうも様子がおかしいと思った時には必ず専門医に診断を受けること、また、変化がなくとも二、三日は静かにして腰をもじったり、押さえたり、もんだりしないで、そのままにしておくことが大切だ。」と繰り返し指示、指導を行った。
5 請求原因5の事実は否認する。高校の体育授業の年間計画に欠陥はなく、同年間計画と本件事故とは関係ない。
6 請求原因6の事実はすべて否認する。
(一) 秋山が施行した肩車は、文部省検定済教科書「高等保健体育」において例示されているやり方と同様なやり方で行ったものであり、秋山は、教科書で紹介されたトレーニングの方法を授業で実施したのであるから、何ら過失はない。また、肩車は、体力の補強運動として、生徒の下半身の力、腹、背筋力、バランス感覚を養成し、合わせて忍耐力や組同士の協調性を会得させるものであって、前記二2(二)の秋山の指示を遵守する限り危険性を有する運動ということはできない。現に、秋山は、過去一〇年間体育の授業で肩車を実施したが、一度も事故が発生しておらず、肩車の安全性を確認していた。
(二) 秋山は、肩車のペア相互間での交替を認め、また、ペア相互間でできるところまでやればよい旨を説明していたのであるから、原告一郎は、乙山を肩車で持ち上げることが無理と判断した場合、途中で肩車を中止することも他と組み合わせを交替することもできたものである。そして、高校生ならば自己の生命、身体に対する危険の予知能力、認識能力においてほとんど成人に劣らないのであるから、原告一郎が乙山を肩車で持ち上げることが無理かどうか判断することは可能であったというべきである。従って、秋山に過失はない。
7 請求原因7の事実は否認する。
田中は、原告一郎の態度、数回にわたる質問により聴取した事情及び原告一郎の患部に外形的異常が全く見られなかったことから原告一郎の怪我の程度はそれほど重大なものではないと判断したものであり、第四腰椎圧迫骨折という症状を把握することは不可能だった。それでもなお田中は、原告一郎に対し、専門医の診察を受けるなどの事態措置について繰り返し指示を与えたのであるから、養護教諭として十分な措置をとったものであり、過失はないというべきでる。
8 請求原因8の事実のうち、被告は秋山及び田中が勤務する高校の所属する地方公共団体であること、秋山及び田中がいずれも職務の執行中であったことは認めるが、その余の事実は否認する。
9(一) 同9(一)(1)の事実のうち、原告一郎が保健室から教室に戻った後、当日の授業終了時である午後零時五〇分まで授業を受けて下校したことは認めるが、その余の事実は知らない。
(二) 同9(一)(2)の事実のうち、原告一郎が同日中に医大病院に入院し、同年六月六日まで入院していたこと、翌年三月二五日まで通院治療を受けたこと及び原告一郎は入院期間中通学できなかったことは認めるが、原告一郎が二年生になるまで体育の授業を全く受けられなかったことは否認する。その余の事実は知らない。
(三) 原告らの苦痛及び損害は争う。
第三証拠関係《省略》
理由
一 (事実関係)
1 請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
2(一) 同2(一)の事実は当事者間に争いがない。《証拠省略》によれば、秋山は、昭和五四年四月一四日の第一回目の体育授業の際、原告一郎ら生徒に対し、年間の体育授業の計画、体調が不調な時の申し出、届け出の方法、授業開始及び終了時の整列隊形の作り方、点呼時の動き、体操一般についても説明をしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
(二) 請求原因2(二)の事実のうち、秋山は、同月一七日の第二回目の体育の授業において、授業の実施に先立ち、当日の授業の予定につき、まず準備運動と補強運動(倒立、肩車、馬跳び)を行うこと、次いで走運動を行うこと、その具体的内容としてジョギング、股上げ走、ストライド走をそれぞれ行うこと、秋山は、肩車のやり方について、下になる者は両足を二五センチメートルから三五センチメートルくらい左右に開き、上体を起こし首を固定した状態でしゃがむこと、相手がまたがりセットが終わったら静かに立ち上がること、バランスを崩さないで気持ちを集中させてやることなどの説明をしたこと、原告一郎は、以上の説明の後、秋山の指示により身長順で二列に並ばせられ、その結果乙山と組み合って肩車をすることになったことは当事者間に争いがない。
右争いのない事実並びに《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》
(1) 秋山は、同月一七日の第二回目の体育の授業の際、年間計画表に基づき、陸上競技の走運動、体力向上のための補強運動を行い、その前後に準備運動あるいは整理運動を組み込むという予定を立てた。そして、秋山は、以前から体育の授業において、腕に負荷のかかる倒立、下半身に負荷のかかる肩車、腕と足を使う馬跳びを組み合わせることによって、全般的な体力、筋力の補強運動を実施し、特に肩車については、筋力トレーニング、バランス感覚及び忍耐力の育成のため採用していた。また、秋山は、高校生なら肩車を一時に三回位できることが望ましいと考えていたため、授業においては倒立、馬跳び及び肩車による補強運動を一〇分間位実施することを目安とし、一〇年来無事故で肩車をさせてきた経験から、肩車の組み合わせについては、一応身長順に二列横隊に並べて、その前後で相手を決める方法をとっていた。そして、秋山は、生徒達に対し、当日の授業の開始に先立ち、前記説明のほか、肩車のやり方について、上になる者はゆっくりまたがり、足先を地面につけ両手で下になる者の額の部分に手を回すこと、上下両者は呼吸を合わせること、肩車で上の者を持ち上げることができないならば、無理に持ち上げなくとも良いこと、その場合相手を背負っても良いことなどを説明し、筋力ないし体力、肩車の仕方についての習熟度に個人差があるので、組み合わせに無理があるなら生徒自身の判断で隊列の隣近所で適宜組み合わせの交替をすることも認めていた。
(2) 原告一郎は、他の生徒と共に、秋山の指示に従い、身長順で二列に並んだところ、当時の身長が約一七四センチメートルくらいであった(体重約五六キログラム)ことから、乙山(身長約一七六センチメートル、体重約七八キログラム)と組んで体操をすることになり、準備運動を行い、補強運動として倒立を各二回行い、更に肩車を行うことになった。しかし、原告一郎は、乙山の体重が重かったことから、一回目は乙山を全く持ち上げることができず、二回目は立ち上がり膝を伸ばす状態まで乙山を持ち上げることができたが、三回目も乙山を持ち上げることができなかった。この間、秋山は、肩車を行っている生徒各組を見回り指導したが、原告一郎が乙山を一回しか持ち上げられなかったことについては気づかなかった。原告一郎も、秋山に対し、乙山を持ち上げられなかったことについて何も話さず、乙山との組み合わせを変更するよう申し出もしなかった。秋山は、原告一郎と乙山の体重差が二〇キログラム以上あったことを知らなかった。
3 請求原因3(一)の事実は当事者間に争いがない。同3(二)の事実は、補強運動としての肩車の目的を除いて、当事者間に争いがない。秋山がスタートダッシュの補強運動として肩車を実施したことは、これを認めるに足る証拠はない。
4 請求原因4(一)の事実のうち、秋山は、本件事故発生の直後、スタートダッシュの練習を行ったこと、秋山が原告一郎に対し保健室へ行くよう指示したことは当事者間に争いがなく、同4(二)の事実のうち、原告一郎は、同日午後零時二〇分ころ、乙山に付き添われて保健室へ行き、田中の手当を受けたこと、田中は、原告一郎に対し、「どうしたの。」と声をかけたが、原告一郎は何も答えなかったこと、田中は、原告一郎の腰に湿布をしただけで教室に帰らせ、原告一郎の担任である和田や原告太郎、同花子に何の連絡もしなかったことは当事者間に争いがない。
右争いのない事実並びに《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》
(一) 原告一郎が、本件事故の発生により二つ折りになるようにして尻餅をつき、腰部の痛みによりその場に腰を下ろした状態でいた時、秋山は、原告一郎がその状態で動かないことに気づき、原告一郎の側に行き「どうしたの。」と声をかけたところ、原告一郎から腰を打って痛い旨の答えがあった。そこで、秋山は、原告一郎に対し、しばらく休憩するよう指示し、原告一郎を除く他の生徒に馬跳びをさせ、その後スタートダッシュを実施するため、高校校庭のスタートダッシュの練習地点へ全員を移動させ、スタートダッシュの練習を開始した。原告一郎は、腰を下ろしている間に腰部の痛みが薄らいできたので、乙山の肩を借りて右スタートダッシュの練習地点へ行き練習に参加した。そこで、原告一郎は、スタートダッシュを開始したところ、またも腰部に痛みを感じ、数メートルほど行ったところで歩き始めた。秋山は、原告一郎が歩き始めたのを見て、先ほど腰を打った生徒であると気づき、原告一郎に近づき、「痛いか。」と聞いたところ、原告一郎が「痛い。」と答えたので、保健室へ行くよう指示し、乙山を付き添わせた。
(二) 原告一郎は、同日午後零時二〇分ころ、乙山と共に保健室に行った。しかし、保健室に田中は不在だったので、乙山は、原告一郎を保健室に待たせたまま、田中を捜しに行き、同人を保健室へ連れて来た。田中は、原告一郎及び乙山に「どうしたの。」と声をかけたところ、乙山が本件授業の最中に肩車をしていて崩れた旨答え、「打ったのか。」と尋ねると、原告一郎はうなずいただけで、原告一郎や乙山は事故の状況を詳細には説明しなかった。田中は、原告一郎が落ちて腰背部を打ったものと誤解し、それ以上肩車をしていてどのような態様で落ちたのかなど本件事故発生の状況を詳しく原告一郎及び乙山から聞き出そうとはしなかった。そして、田中が原告一郎に対し「どこが痛いの。」と尋ねたところ、原告一郎は、自己の腰部の背骨の上付近に手を持って行って指示した。そこで、田中は、原告一郎を立たせたままそのまま上着を捲り、トレーニングパンツを下げ、腰部付近の外表を観察したが、皮膚の変色、隆起、腫れなどはなかった。そして、田中は、原告一郎が指示した腰部付近を数か所にわたって指で外側から軽く押して、「押した時痛くないか。」と尋ねたが、原告一郎は、別段痛みを感じなかったので、「痛くない。」と答えた。更に、田中は、「無理をしない範囲で動かしてみなさい。」と言うと、原告一郎は、まず上体を左右に動かしたが、痛みを訴えなかった。次に、原告一郎は、上体を前後に動かすため前方に曲げようとすると、ほんの少ししか曲げることができなかった。上体が少ししか曲がらなかったが、そのために痛みの増加を訴えることはなかった。この時田中が、原告一郎に対し、「その姿勢で痛くなるの。」と尋ねると、原告一郎はうなずいた。また原告一郎の脈拍を調べても異常は認められず、顔色も普通で、表情も特に変わったところもなく、顔を歪めているということも認められなかった。そこで、田中は、原告一郎の怪我を単なる打ち身と判断し、原告一郎の腰部に湿布を張り、二、三日は運動をしたり患部をもんだり押したり温めたりしないよう注意を与え、更に痛みが続く場合は必ず専門医の診療を受けるよう指示した。原告一郎は、以上の処置を受けた後、乙山と一緒に保健室を退出して、まだ続いている体育の授業に行ったが、その際、特に乙山の助けを借りることもなく独力で歩いて行ったが、授業には参加せず、後ろの方で観ているだけであった。その後、原告一郎は、ホームルームへ出席するために教室へ戻ったが、更衣室で更衣する時や階段を上る時に痛みを感じたが、同原告自身大したことではないと感じていた。田中は、原告一郎に対し、右のような応急措置をした後、同原告の両親である原告太郎、同花子に何らの措置をもとらなかったが、体育の授業後、秋山に対し、本件事故の状況について原告一郎らよりどういう説明があったかどういう応急治療をとったかについて報告した。原告一郎は、授業終了後、午後零時五〇分過ぎに学校から二キロメートルほど離れた自宅へ徒歩で帰り、いったん休んだ後、原告太郎の車に乗せられて東海整形外科に行き、診察を受け、医大病院へ行って入院するよう勧められ、同日午後一時三五分に医大病院に行き診察を受けた結果、第四腰椎圧迫骨折であることが判明したので、同日入院した。原告一郎の痛みは、家へ帰る前と後とで程度に変化はなかったが、事故後二、三日続いた。
二 (被告の責任)
以上の事実につき、高校並びに秋山及び田中の過失をそれぞれ検討する。
1 (高校の過失)
《証拠省略》によると、高校においては保健体育科年間計画として学年、性別、時期に応じて授業する体操、体操理論、保健の各内容を定めて配分する年間計画を有していたこと、その具体的実施については、担当する教師の裁量に委ねられていたことが認められる。《証拠省略》によると東京都教育庁は、昭和四七年七月と昭和四八年六月に体育活動に起因する事故防止のための通達を管内学校長等に発していたこと、同通達においては、指導計画や指導の実際について、次の事項などを記載していたことが認められる。
(1) 指導計画は、児童生徒の心身の発達や性別、体力を適切に把握して作成すること。
(2) 安全の面から指導法を再点検し、特に指導形態や指導隊形について留意すること。
(3) 中学校、高等学校の第一学年の生徒や新たに入部した生徒についてはその健康状態を把握し段階的に指導すること。
原告らは、高校が体育の授業について十分な年間計画を立てていなかったとか、生徒の健康状態、体力の具体的把握を怠っていた旨主張する。しかし、高校の前記体育授業についての年間計画が、東京都教育庁の通達に違背する不備なものであるとは認められない。また原告らの右主張自体いかなる年間計画を立てるべき義務があるのか、原告一郎ら生徒のいかなる健康状態、体力の具体的把握に努めるべき義務があったのか具体的内容に言及しておらず、主張自体失当である。また、仮に右の各点について教育上何らかの落ち度があったとしてもそれによって本件事故が発生したという具体的因果関係を認めるべき証拠は全くない。
2 (秋山の過失)
《証拠省略》によれば、秋山は、高校一年生になったばかりの生徒に対する体育の授業を実施する際には、右1に認定したような通達の内容に留意し、体育授業に起因する事故を防止すべき義務があったことは明らかである。
(一) (肩車選択自体の過失)
そこでまず、補強運動として肩車を選択したこと自体に過失があるか否か検討する。
肩車については、上の者の体重が重くなるに従って下の者に対する負荷が強くなること、器具を使った運動では重さの調節が容易であるが、肩車の場合負荷が人間であるために人為的に調節することが困難であること、下の者が立ち上がった時点では、肩に大人の身長に近い高校生が乗っていることになるため、重心が相当高くなりバランスを崩し易くなること、上に乗る者は本能的に後ろが危険であることを認識して前方へ重心を移すおそれがあることなどは経験則上推認される。《証拠省略》によれば、肩車は、昭和四四年四月一〇日及び昭和五六年三月三一日にそれぞれ文部省の検定を済ませた高校保健体育の教科書において筋力トレーニングまたはサーキットトレーニングの方法として採用されていること、東京都教育庁指導部の昭和五三年度東京都公立中学校教育内容現代化指導資料集においてバスケットボールの指導と関連して初歩的な体操として肩車をして屈伸を一〇回繰り返すことも適切なものとして取り上げていること、小学校五年生の教科書においても肩車を組み体操の一例の「かつぎ合い」の一つとして取り上げて採用していることが認められ、公的指導資料の中で、肩車を運動、体操として不適切と指導するものは本件訴訟資料には認められない。弁論の全趣旨により原告太郎が作成したものと認められる《証拠省略》(都立高校における肩車実施状況調査報告書)によると、都立高校の教師の一部には肩車は危険で体育授業における運動として適切でないという回答を寄せている者もいることが認められるが、その回答の真意、調査の公正等を担保するだけのものは認められないから、そのままたやすく採用できない。肩車にある程度の危険性が認められるとしても、それは、その方法や程度を誤ると身体に危害を生じさせる虞れがあるという運動一般に不可避的に内在している危険性であって、それゆえに高校生のみならず、小学生及び中学生の体育の授業においても教師が肩車を採用することは原則的に禁止されているものと解すべきではない。むしろ、高校の教科書や指導資料においては、肩車が筋力トレーニングの方法として肯定的に認められていることに鑑みれば、肩車がスプリントや筋力トレーニングの補強運動として実効性のない運動であるということまではできず、単に前記のような抽象的危険性があることをもって肩車を本件授業において採用したこと自体に安全配慮義務違反の過失を認めることはできない。教科書や指導資料に記載された運動のうち、どのような運動を選択して授業で実施するかは教育現場の教師の裁量に委ねられていると解せられる。ただ指導教師が肩車を採用した場合には、肩車のもつ運動上の危険性は、それによる事故防止のため指導教師が具体的にどの程度の措置をとって肩車を実施すべきかを判断するに際しての要素に過ぎないというべきである。それゆえ、教育現場の教師が体育授業において肩車を採用したこと自体に違法か否かという問題は生じ得ないものと解すべきである。
なお、原告らは肩車を授業で選択実施することは高校生に不可能を強い、筋力トレーニングの基本原則に違反するものであると主張する。なるほど《証拠省略》によると、体力トレーニングについて次のようなことが留意されるべきであると説かれていることが認められる。
(1) 初心者では、軽いトレーニングからはじめて徐々に強いトレーニングに体を馴らして行き、大きな運動負荷のかからない方法で練習することが望まれること。
(2) 中学段階や高校前半期では一回のトレーニングの負荷が限界を超さないように注意することが必要であること。
(3) ウェイトトレーニングにおいては初心者の場合、少なくとも六回以上持ち上げられる軽めの重りを用いることが望ましいこと。
(4) 筋肉を発達させるためには、静的筋力トレーニングでは運動強度が最大筋力の四〇パーセント以上、動的筋力トレーニングでは六〇パーセント以上でないと筋力増強の効果が期待できにくく、一般に動的筋力トレーニングでは、やっと一〇回ないし一五回できるトレーニングが最大筋力の六〇パーセントの運動強度のトレーニングといわれていること。
(5) 動的筋力トレーニング法としては、補強運動を狙いとする筋肉を主に使う運動を続けて一〇回できる程度の力(全力の約三分の二の力)の要る運動を用いる必要があり、これをこれ以上続けてできなくなるまでを行うことを一セットとし、普通一ないし三セットを行うべきであるが、一般の中高校生なら一セットで十分であること。
右のうち(1)(2)(3)は体力トレーニングについての安全確保、危険防止に関する事柄であるが、(3)はウェイト(重り器具)を使用してウェイトトレーニングする場合の注意であって、態様及び回数を異にして補強運動の一つとして採用される肩車の場合にそのまま当てはまるものとは認め難い。(4)と(5)の趣旨がいわゆる筋力トレーニングの原則といわれているものである。(4)と(5)の趣旨は、動的筋力トレーニングを効果的に行うための、最低負荷について説明するものであって、原告らが請求原因6(一)(4)において主張しているようなトレーニングの危険を回避するための上限負荷(安全基準)として説明されているものではない。従って、この点に関する原告らの主張は、前記(1)(2)(3)と(4)(5)とを混同して理解し、前提となる筋力トレーニングの原則を誤解するものであって失当であることは明らかである。
以上のように、秋山が肩車を高校生の授業において選択、実施したこと自体に過失はないというべきである。
(二) (肩車実施の際の過失)
秋山が本件授業において肩車を実施するに際し、本件事故の発生を防止する義務を怠ったか否かについて検討する。
原告らが、請求原因6(一)(4)に主張するような筋力トレーニングの原則が、肩車によるトレーニングの安全基準となり得ないことは先に判示したところから明らかである。前記一2(二)記載の事実に徴すると、秋山が原告ら生徒に対して肩車をするうえでの注意事項を相当詳しく説明しているものであるから、秋山が肩車の危険性も認識したうえでその実施に配慮を示していたことが明らかである。そこで、秋山が生徒らに肩車をさせるについて配慮したことが事故防止のため、必要かつ十分なものであったか否かについて検討する。
前記一2(二)の認定事実によれば、秋山が肩車をする生徒の組み合わせについて一応身長順及びそれから推認される体重の均衡を考慮して組み合わせを決め、個々の組み合わせの生徒同士の具体的体重差、なかんずく原告一郎と乙山との具体的体重差について考慮していなかったこと、第二回目の体育授業において、原告一郎が乙山を一回しか肩車をすることができなかったことについて了知していなかったことが認められる。しかしながら、前記一2(二)の事実のとおり、秋山は生徒らに対し、肩車を実施する前に肩車のやり方について詳細に説明したうえ、肩車で上の者を持ち上げることができない時は、無理に持ち上げなくとも良く、その場合には相手を背負う方法によることあるいは組み合わせの交替をすることを認め、肩車自体及び各組み合わせを必ずしも強制はしていなかったものである。そうだとすると、秋山が原告一郎と乙山の体重差を認識していなかったとしても、原告一郎は乙山を持ち上げることができないと判断したならば、肩車の代わりに背負う方法を採用するとか、秋山に対し乙山との組み合わせの交替を申し出るとか、あるいは秋山に申し出ることなく適宜隊列の隣近所の生徒と組み合わせの変更を相互にし合うこともできたものというべきである。しかも、四月一七日の体育の授業の際、原告一郎は乙山を肩車で三回持ち上げようと試み、そのうち一回何とか持ち上げることができたのみであったものであるから、第三回目の本件体育の授業に際しては、乙山を肩車で持ち上げることが可能かどうか、生徒の組み合わせの変更をした方が良いかどうか十分に判断する機会もあったし、高校生である原告一郎には自主的にその判断をするだけの能力もあったものである。従って、秋山が第三回目の本件授業に際し、原告一郎と乙山との組み合わせについてこれを変更することを指示しなかったとしても、これをもって肩車を実施するについて安全配慮を怠った過失があるとまではいえない。
なお、原告らは、秋山が原告一郎らに肩車実施以前に無理をしないでできるところまでやれば良い旨指示していたとしても、筋力トレーニングの経験もない原告一郎には無理かどうか判断する能力がなく、同原告にその判断を委ねたことが過失であると主張する。しかし、高校生である原告一郎は、これまでの日常生活、小学校及び中学校の授業等において、肩車ないしこれに類する負荷を持ち上げる経験を積んでいるのが通常であるから、原告一郎に乙山を肩車することを継続することが無理かどうか判断する能力が十分にあったたものと推認するのが相当であり、特に、本件のように秋山が原告一郎らに対し、肩車以外の方法あるいは組み合わせの交替も可とする例を示して無理に持ち上げないで良いことを説明しているのであるから、無理かどうかの判断を原告一郎に委ねたこと自体をもって過失があるとはいえない。
3 (田中の過失)
《証拠省略》によれば、養護教諭は、医学的素養をもって学校に勤務する教育職員であって、学校内において要救急事故が生じた場合のその役割は、一般医療の対象とするまでもない軽微な傷病の処置と学校医等専門医の側へ要救護児童生徒を引き渡すまでの処置をすることにある。養護教諭の行う養護診断は、学校内において傷病事故が発生した場合に、その傷病事故の発生状況、傷病の内容、程度をできるだけ速やかに認識し、自ら傷病の手当をするか、緊急なものであって直ちに医師のもとに移送するものであるか、あるいはその必要がないものであっても家庭へ送り帰し、保護者の保護監督下に置くべきものであるか、あるいは学校の保健室で継続的に観察する必要のあるものであるか、生徒を授業のため教室に帰して良いものかを判断することが第一の目的であり、即ち、その傷病事故の重症度、緊急度を判断するものであることが認められる。それゆえ、養護教諭の傷病についての判断手続については、一般の医師看護婦が専門的な傷病名や傷病箇所の確認、医学的処置をする目的で診察するのとは異なり、医学的に十分なものである必要はないが、少なくとも前記判断目的にふさわしい程度の問診、視診、触診を適切に行うべき義務があるというべきである。
《証拠省略》(学校における緊急処置の手引)によると、腰背部の打撲等の傷病事故があった場合には、養護教諭は次のような措置をとることが望ましいとされていることが認められる。
(1) 姿勢、顔貌、意識、呼吸、ショック症状、皮膚の損傷等を観察すること。
(2) 本人または目撃者より受傷の時期、受傷部位及び受傷原因を聴取すること。
(3) 痛み、手足のしびれ、吐き気等受傷性状を確認すること。
(4) 腰背部の触診、打診をすること。
(5) 手足のしびれ、血尿、嘔吐、叩痛を認め胸腰椎の部分の骨折の疑いのあるものであった時は、固い板に水平仰臥位で乗せ、毛布で保温して安静を保ち、保護者に連絡し引き取らせるか、直接医療機関に受診させること。
これを本件についてみると、前記一4(二)の認定事実によれば、田中は、乙山や原告一郎が本件傷病事故について本件授業の最中に肩車をしていて崩れて腰背部を打った旨の漠然とした答えをしただけであるのに、本件事故発生の具体的状況を詳細に尋ねようとはせず、顔貌、腰背部等の視診、腰背部の触診をしたのみで、結局原告一郎が、乙山を肩に乗せたまま二つ折りになるようにして尻餅をついた状況を把握しなかったことは明らかである。従って、田中の問診等が養護教諭として尽くすべき程度にも達しておらず、不十分であり、職務上尽くすべき救護診断義務を怠ったものといわざるを得ない。その結果、傷病の重症度、緊急度の判断を誤り、直ちに校医ら専門医の診断を受けさせることも、家庭へ送り帰すこともしなかったものである。仮に田中が右の診断義務を尽くしていたとすれば、本件事故の発生の状況とその後保健室に来るまでの経過が確認できたものというべきである。しかしながら、前記認定事実によれば、原告一郎は、触診の時に痛みを訴えず、田中の前で上体を前屈させた時にはじめて痛みを訴えたのみで、田中に腰背部の湿布治療を受けた後保健室を退出する時も、乙山の手を借りる様子もなかったこと、原告一郎に当時脈拍の異常、腰背部の皮膚の変色、隆起、腫れがなかったことは明らかである。他に、原告一郎の意識、呼吸の異常、ショック症状、手足のしびれ、吐き気等を認めるに足る証拠もない。右のような原告一郎の状況において、田中が本件事故発生の状況とその後の経過について認識していたと仮定しても、腰部の骨折等の傷害を直ちに疑うことなく、原告一郎に対し、二、三日運動したり患部をもんだり押したり温めたりしないよう注意を与え、更に、痛みが続く時は専門医の診察を受けることを指示したことは、養護教諭の救急措置として不適切であったとまではいい難く、右養護診断をした時点において、田中に養護教諭として直ちに校医ら専門医の診断を受けさせる注意義務並びに原告太郎及び同花子らに本件事故を連絡する義務が生じていたとは認められず、しかも、原告一郎の知識、能力からすれば、痛みの継続、変化に応じて学校医等専門医の診察を希望して連れていってもらうことを要求したり、自ら親に連絡したり、あるいは学校側に親元に連絡するよう要求することも可能であったものであるから、田中に養護教諭としての職務上の過失があったものとはいえない。
4 従って、被告の原告らに対する国家賠償法一条一項の不法行為責任及び右在学契約に基づく安全配慮義務違反を理由とする債務不履行責任は、いずれも認められない。
三 (結論)
よって、その余の事実を判断するまでもなく原告らの本訴はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鬼頭季郎 裁判官 揖斐潔 櫻庭信之)